夫が咳をし始めたことでコロナ陽性が発覚し、自宅隔離を始めた2日後の1月23日(日)の夜。
息子が突然発症し、救急車が来て病院へ搬送される騒ぎとなった。
前回の話はこちら↓

夕食時まで元気だったのに…就寝前の突然の発症
1月23日(日)。
息子に夕食を食べさせ、この日も24時間ワンオペの1日が無事終わろうとしていた。
疲れから私から笑顔が消えてしまったのを流石にヤバイと感じたのか、この日は夫が夕食の後片付けをしてくれた。
私は息子を寝かしつけるために自分の寝支度を済ませて息子を寝かしつけようとした時、異変を感じたのだった。
いつも通り夕食をペロリと平らげた息子
この日も夕食時まではいたって元気だった息子。
おやつはヨーグルトとビスケットをしっかり食べ、夜ご飯の好み焼きもペロリ。
全く具合の悪い様子は無かったので何も心配せずに夕食後はテレビを観せながらベビーサークルの中に入れ、用事を片付けていた。
たった20分で急変した息子の様子
この日は夕食準備にとりかかるのが遅くなってしまったので息子の入浴は諦めて寝かしつけることにした。
いつも21時半までは寝るのを嫌がって部屋中駆け回って寝かしつけに手を焼く息子。
私が自分の寝支度をしていると、リビングの方から息子の悲鳴のような異様な声が聞こえてきた。
慌ててリビングに来ると、ベビーサークルの中に座り込んでゲッホゲホと吐くように苦しそうな咳をする息子が。
慌てて抱き上げてみると、熱かった。
そしてまだ21時前だというのに目がとろんとしていて今にも寝落ちしそうだ。
絶対に様子がおかしい。
もうこれは絶対にコロナに感染していると確信した。
また咳き込む息子。
あまりに激しく咳き込むので、時折白目になった。
そして呼吸も早く、苦しそうに肩を動かしている。
息子は私の膝の上で今にも目を閉じそうだった。
息子、病院へ救急搬送。付き添いは…私!?
直感的にこのまま寝かせては危険だと思い、台所で洗い物をしてくれていた夫を呼ぶ。
市の救急相談窓口へ電話
私「息子がおかしい!今すぐ病院に電話して!」
夫はかざすだけで熱が測れる体温計を持って来て息子のおでこにかざしてみるが、息子が動き回って上手く熱が測れず、38度になったり36.5度になったりした。
夫は「眠いだけじゃない?」と言ったが、息子が咳をする様子を見てすぐに市の救急相談窓口に電話してくれた。
電話の担当者は息子の月齢と現在の様子を聞くとすぐに病院で検査を受けるようにと言い、救急車を手配した。
夫から救急車が来ることを告げられると、そんなことは想定していなかった私は少し気が動転した。
まさか救急車が来るなんて想定外だ!
息子は既に私の腕の中で寝ていた。
せっかく寝入った所を叩き起こして病院に連れて行って検査をさせたら、その方が息子の負担になるのではと考え始めたりもした。
夫に明日の朝でも良いんじゃ…?と言ってみたが、電話の担当者は今すぐとにかく病院に行きなさいと言ってくれた。
突然の急展開に慌てながら、私はパジャマに着替えてしまったのをまた着替え直した。
市の検査スタッフが到着
電話から3分ほどで、救急車に先立ち市の検査スタッフが到着した。
それから30秒ほど遅れて救急車の音が近づいてき、私達の家の前で泊まった。
家の中には防護服に身を包んだ3名の女性スタッフが入ってきた。
まずは息子の保険カード(tessera sanitaria)を要求された。
寝ていた息子は突然物々しい雰囲気になったことに驚き、目を覚まして泣き始めた。
スタッフ達が息子の熱を測ろうとするも息子はギャン泣きで嫌がり全く測れない。
この場でコロナウィルスの検査が行われるのかと思ったが、検査は病院で行うらしい。
スタッフの内、英語を話せる1人が
「これから病院に搬送します」
と言ってきた。
コロナ陽性の夫は付き添えないので、イタリア語が話せない私が付いて行くしかない。
一体何時に帰って来られるのか、帰りの足はどうしたら良いのか…不安で爆発しそうだった。
とにかく病院で一泊することになった時のために息子の着替えやおやつを急いでリュックに詰め込んだ。
不安で泣いている息子をしっかり抱っこし、スタッフが待つ玄関へ向かう。
夫は私に現金を渡してくれた。
「何か分かったらすぐに連絡して」と夫。
きっとイタリア語が分からない私が付き添いでは不安で仕方がないんだろうなぁ。。
私は女性スタッフ達と共に家を出た。
イタリアで救急車デビュー。コロナ陽性の夫に代わり私が付き添い
息子を抱っこしてマンションを出ると、正面に煌々と青い光を放つ救急車が泊まっていた。
まさか自分がこれに乗る時が来ようとは…
3人の検査スタッフさん達とはここでお別れとなり、救急車の中で待機していた若くて美しい女性スタッフさんが対応してくれた。
息子を抱えて救急車に乗り込むと、中のストレッチャーの上に乗るように指示された。
息子をしっかり抱きしめたままストレッチャーに乗ると、女性スタッフさんは私の足と腰のあたりをベルトでしっかり固定した。
何が起きているか理解できない息子は、ひしっと私にしがみついていた。
女性スタッフが合図をすると救急車はサイレンを鳴らして発進した。
後ろ向きに乗っていた私は物凄いGを感じた。
外の景色は全く見えなかったが、我が家の前の一般道を恐ろしいスピードで走っているのは分かった。
カーブの度に物凄いGがかかるのを、息子を落とさないようにギュッと抱き締めて耐えること5分。
救急車がサイレンの音を止めた。
どうやら病院に到着したらしい。
病院に到着。夜間救急の救急小児科
イタリアに来てすぐに妊娠・出産し、コロナ禍での引きこもりで全くイタリア語が上達していない私。
こんなへっぽこが病院付き添いで大丈夫かと不安で仕方がなかったが、火事場の馬鹿力なのか何とかなるものである。
病院に到着。防護服が行き交うコロナの救急病棟
救急車の後ろの扉が開かれ、同乗していた女性スタッフさんが私を固定していたベルトを外す。
外では病院スタッフがストレッチャーを用意して待機していた。
「患者はどっち?」
「赤ちゃんの方」
「お母さんは?」
「お母さんは陰性です」
私のミジンコなイタリア語レベルでもそんなやり取りは聞こえてきた。
私は息子を抱っこしたまま病院の中へ向かおうとしたが、ストレッチャーに乗るように指示される。
私自身は元気なのに何故か変な感じだったが、息子を抱っこしたままストレッチャーに乗せられ、建物の中へ運ばれた。
中に入ると、防護服に身を包んだ大勢のスタッフ達が忙しなく動き回っていた。
反対側の廊下をみると夜間に検査をしに来たと思われる人達が元気なく椅子の上で順番待ちをしている。
私はこの時初めて自分が既にコロナに感染していて良かったと思った。
でなければこの感染リスク最高レベルな環境に無防備な姿で放り込まれ、自分も感染する恐怖と戦わなければならないところだった。
看護師からの質疑応答。そして診察室へ。
息子はまた私の腕の中で眠っていた。
程なくして看護スタッフ同士の会話が聞こえてきた。
「このマダムはイタリア語が話せないそうなの。誰か英語話せない?」
「マダムは陰性?」
「マダムは陰性で、彼女の旦那さんが陽性!」
そして私のtessera sanitaria(保険カード)も求められる。
次に息子の体温を測るように言われ、脇の下で測るタイプの体温計を渡された。
息子は眠り始めたので今回は幾分測りやすかったが、脇の奥まで入れるのは難しかったので今回も正確に測れたかどうか分からない。
でも脇に浅く挿したその状態でも体温は38.6度だった。
本当はきっともっと高いに違いない。
その後私達のストレッチャーは長い廊下を運ばれていく。
通り過ぎていく部屋の中には点滴を打たれて横たわっている人達がいた。
それから「あぁー!あぁー!!」と廊下中に響き渡る声で苦しそうな呼吸をするご老人の部屋の横を通り過ぎた。
その声を聞いているのが辛くて、できるだけ遠くの部屋だといいなと思っていたが私達が通されたのはそのご老人の横の部屋だった。
私達はストレッチャーに乗せられたまましばらくその部屋で待たされた。
小児科医の診察にギャン泣きの息子
診察室で待つ間に廊下の様子を伺っていたが、思ったより院内は落ち着いている様子だった。
「じゃ、私帰るわね!」
「OK、また明日ね!」
なんていう看護師さん同士の軽い会話も聞こえてきたり。
ただ隣のご老人の苦しい声をずっと聞いているのが辛く、早く帰りたかった。
10分ほど待って小児科の先生と看護師さんが部屋に入って来た。
恰幅の良い、優しそうな中年女性の先生だった。
まずは問診をされる。
先生は私にカタコトながらも英語で話してくれたので有り難かった。
問診は、私はいつ陽性になったか?その際は適切に隔離をしたか?といったことや息子の体重などを聞かれた。
問診が終わると聴診器で息子の呼吸の検査。
ここで服を捲られて息子が目を覚まし、無理やり起こされた息子はまたぐずり始めた。
嫌がって争う息子の足に看護師さんが苦労して血圧・心拍を測る器具をセットする。
機嫌の悪さがMAXになっていた息子の最後のトドメがPCR検査だ。
しっかり押さえておくようにと言われて私は息子をギュッと押さえる。
鼻の奥に綿棒を突っ込まれ、やはり息子はギャン泣き。
すやすや寝ていたのに無理やり起こされてこんなに痛い目に遭わされて、見ている私の方も辛かった。
気管支炎予防のためのBentelanの処方
診察の結果、肺には以上は無さそうということだった。
ただ2歳未満の幼児は新型コロナウィルスによって気管支炎になりやすいため、Bentelanという内服薬を処方された。
日本ではベタメタゾンと呼ばれているそうで、気管支喘息などの治療に使われるステロイド抗炎症薬のようだ。
こんな小さな子にステロイド剤…とも思ったが気管支炎の方がもっと怖いので仕方がない。
↑Bentelan(ベタメタゾン)。左の1mgが大人用、右の0.5mgが息子用。
これを2日間、朝晩の食事後に飲ませるように言われた。
なお、PCR検査の結果はトスカーナ州の保健省のサイト”toscana salute“で翌日以降に確認するように言われた。
無事診察が終わるも…帰りの足が無い!
肺・気管支に異常は無さそうだったことからこの日は入院にならずに帰宅できることになった。
しかし、どうやって帰れば良いのだ…?
そもそも自分達が今どこの病院にいるのかさえ分からなかった。
足に困った患者は救急車が自宅へ送り届けてくれる
小児科の先生は、夫がコロナ陽性のため私達は帰る手段が無いことを伝えると「救急車が自宅へ送ってくれる」と言った。
なんと…イタリアでは私達のように足に困った患者は救急車が自宅へ送り届けてくれるらしいのだ!
だが問題は、この晩は全ての救急車が出払ってしまっているということだった。
先生は「結構待つことになるわ。多分3,4時間は待つことになると思う。」
と言って部屋を出て行った。
3,4時間も私は息子を抱えたままここで待っていなければならないのか!?
半泣きになりながら、とりあえず夫に診察が終わったことを伝えるために電話をした。
特別に夫に迎えに来てもらえることに!
そして救急車が出払っているので家に帰れるのは午前3時〜4時頃になりそうだと言うと、
夫「…病院のスタッフは誰か周りにいる?俺が直接話すから電話渡して。」
小児科の先生に代わって男性スタッフが部屋に入って来、パソコンで作業をしていたので彼に電話を渡した。
スタッフは夫と話し始める。
「はい、ええ。救急車は3〜4時間かかります。タクシーはダメです。息子さんコロナ陽性の疑いがありますから。…え?うーん、ちょっと待ってて下さい。」
そう言って彼は私の電話を持ったまま他のスタッフと話に行った。
そして戻って来ると私に電話を返した。
夫は「特別に迎えに行って良いことになったから、今から俺が迎えに行くよ」と言った。
なんと、本来は外出禁止のはずのコロナ陽性の夫が私達を迎えに来ても良いということに。
程なく夫が到着し、また先程の男性スタッフに電話を代わってくれと言う。
男性スタッフに電話を渡すと、彼は夫と話しながら部屋を出て行った。
どうやら夫をこの救急病棟まで誘導してくれているようだ。
男性スタッフが戻って来ると、今度は私達を夫の元まで連れて行ってくれた。
夫は病棟の出口の真前、救急車専用の道の上で待ってくれていた。
親切な男性スタッフにお礼を言い、すぐに息子を乗せて病院を後にした。
私達が搬送された病院は、息子を産んだあの病院だった。
家に戻ると0時を回っていた。
息子をベッドに寝かせ、私もその横に添い寝をする。
この晩は息子がちゃんと息をしているか心配で私はあまり寝られなかった。
何も食べられない息子。水分を摂らせるのも一苦労
翌日の1月24日(月)。
息子は10時近くまで寝ていた。
一度起こして朝ごはんを食べさせる。
昨晩処方された薬は50mlの水に溶かし、ミルクと混ぜてみたら問題無く飲んでくれた。
朝は大好物のバナナだったからか比較的食べてくれた。
しかし朝食後はまた目がとろんとしてき、私が抱き上げるとすぐに寝てしまった。
寝ている間に体温を測ると39.0℃。まだ苦しそうだった。
昨晩小児科の先生には
「熱が38℃以上になったらタキピリーナ(消炎鎮痛剤)を飲ませるように」
と言われていたので、起きたタイミングで飲ませることに。
昼食の際にタキピリーナのシロップを混ぜた水を飲ませようとしたが、嫌がって飲んでくれなかった。
そして昼食も全く手をつけず。
大好きなヨーグルトなら食べてくれるかと、ヨーグルトにタキピリーナを混ぜてあげてみるが、これも2,3口しか食べてくれなかった。
夕食は食べ易いように雑炊を用意したが、一口も食べず。
りんごのすり下ろしをあげてみたが、これも全く食べてくれず。
何かお腹に入れないと薬を飲ませることができないので、いつも瞬間的に飲み干す梨ジュースをあげてみる。
これも半分以上残してしまった。
これでは薬どころか水分も摂れていない。
いつもは食欲の妖精のように大人顔負けによく食べる息子が…
最後の手段で薬をまた少量の水で溶かしてミルクに混ぜてあげてみると、これはグビグビ飲んでくれた。
結局この日は朝ごはんのバナナ以外は食事らしいものは一切食べられずに終わってしまった。
2日後には元気になった息子。しかし長引く陽性
翌日1月25日(火)の朝。
早朝5時50分にお腹を空かせて腹ペコザウルスとなった息子の泣き声で夫も私も叩き起こされた。
私は連日の寝不足でヘロヘロしながらも台所に立って腹ペコザウルスのためにマッハで朝食を用意。
しかしいつもの朝食の量では全く足りなかったようで、その後さらにパンケーキを焼くことになった。
こうして息子は2日で回復してくれたが、発症から10日が経過した1月28日(金)に薬局へ検査しに行ってもまだ陽性だった。
このブログを書いている本日もまだ隔離中で、明日また検査に行く予定だ。
こうして私達一家は元旦の1月1日から現在まで、2022年はほぼ自宅隔離状態で過ごしているのである。
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