悪阻(つわり)はただでさえ辛い。
しかしイタリアの田舎町での悪阻は、日本であれば無かったであろう苦労もあった。
今回の記事では私の悪阻の症状やOK・NGだった食べ物、そしてイタリアに暮らす日本人妻ならではの苦労について書きたいと思う。
前回の記事はこちら↓

妊娠8週から本格的に始まった悪阻(つわり)
前々回の記事に書いた通り、アメリカ旅行中に始まってしまったつわり。
セドナからラスベガスへの車移動中は吐き気との闘いでほぼ白目を剥いていた。
その後向かったシアトルでは1週間ほぼホテルで寝て過ごした。
イタリアへ戻って来ると、悪阻はどんどん本格化していった。
つわり期前半: 日中は比較的元気→夕方に体調悪化
妊娠8週〜11週頃までは、特に何か刺激がなければ日中は比較的普通に過ごすことができた。
刺激というのは、NGな食べ物を口にしたり苦手な臭いを嗅いだりストレスを感じたりといったことが無い状態だ。
食べ物については後述するが、臭いについては夫の息(ガムを噛んでいてもだめ)やキツイ洗濯洗剤の臭い、化学的な芳香剤の香り、みかんの香りなどが吐き気を誘発した。
ストレスも悪阻を悪化させた。
「今日はこれをしなきゃ」「あれって大丈夫かな」といった些細なタスクや心配事でも、考え始めただけで吐いてしまう状態だった。
それでもそういった刺激を避けてできるだけリラックスして過ごすようにしていれば、日中は比較的動くことができたし大学にも行くことができた。
問題は夕方。特に18時を回るとみるみる体調が悪くなっていった。
今日は調子が良いと思って夕飯の支度をしていても段々と気分が悪くなり、途中で放り出してトイレに駆け込むことが幾度となくあった。
後半は日中も寝込みがちに
妊娠12週を過ぎると気持ちが悪くない時でも胃酸が逆流し、常に胸焼けしているような状態になってきた。
ゲップをしたいのにできないような不快感が常にあり、不意に出たと思えばそのまま胃の中の物まで全部逆流してくるような状態だった。
朝起きた瞬間から夜まで気持ち悪くて寝込む日も多くなった。
私が朝からトイレでゲーゲー吐いていると、夫は心配して私の様子を見るために片道30分かかる仕事先から昼に一度帰って来てくれた。
私が悪阻中に食べられなくなったもの
悪阻が本格化すると共に私が食べられなくなってしまった物達を紹介する。
完全に火が通った肉
前々職では肉部に所属するほど肉好きだった私だが、不覚にも悪阻で真っ先に受け付けなくなったのが肉だ。
特に完全に火が通った肉がダメだった。
肉の香りもそうだが、口の中に入った時のボソッとした感触がアウトだった。
生に近い真っ赤なレアステーキや生ハムであれば食べる気になったが妊娠中は食べるわけにはいかなかったので、悪阻の間は一切肉を口にすることができなかった。
パンやクラッカー、汁気の無いパスタなどの乾いたもの
私は元々ラーメンとかスープとか汁っぽい物が好きというのもあるかもしれないが、悪阻の間はそれに拍車をかけてパンやクラッカー、ビスケットなど、口の中の水分を持っていかれる乾いた物を全く受け付けなくなった。
じゃがいもも粉吹き芋やベイクドポテトのような調理法はアウト。(後述の通りフライドポテトだけはOK!)
汁気の無いパスタ、特に硬めのラザニアとかジェノベーゼパスタなども食べられなくなった。
ハードチーズ
妊娠中にせっかく食べても良いと言われたハードチーズだったが、硬ければ硬いほど食べられなかった。
香りというより、パサパサした感触がダメだった。
おそらくモッツァレラチーズのような柔らかくてジューシーなチーズなら食べられたかもしれないが、ナチュラルチーズは全般に禁止されていたので食べることができなかった。
オリーブオイル、バターなどの油の匂い
夫の実家は南伊プーリアにあり、親戚と共有するオリーブ畑がある。
夫の親戚一同は毎年この畑で採れるオリーブの実から絞った自家製オリーブオイルを使っており、我が家も実家に帰省する度にこの美味しいオリーブオイルを一斗缶でもらって帰って来る。
しかしながら、悪阻の間はこの香り高いオリーブオイルの匂いを全く受け付けなくなってしまったのだ。
バターもダメだった。
なのでオリーブオイルやバターを使った食べ物は一切食べられなかった。
みかん
悪阻には柑橘類!
と思っていたのだが、意外にもみかんだけは受け付けなかった。
イタリアでも冬は日本と同じようにみかんをよく食べるのだが、夫が私の横でみかんの皮を剥いた瞬間、漂ってきたみかんの香りに私はトイレに駆け込むハメになった。
私が悪阻中に食べていた物、無性に食べたくなった物
では私は悪阻中に何を食べて生きていたか、紹介したいと思う。
りんご
私が夕食を作りかけでトイレに駆け込むことになった日などは、仕事から帰ってきた夫がりんごを剥いてくれた。
どんなに悪阻が酷くて何も口に入れる気にならない日でもリンゴだけは食べることができた。
梅粥
日本を発つ時、友人が美味しそうなお茶漬けの素を選別にくれた。
その一つがこの梅粥だった。
梅干しは元々大して好きではなかったのだが、私も例に漏れず悪阻の間は梅干しが食べたくなった。
梅粥の素が無くなると、日本から持参した梅干しと昆布茶を使って梅粥を作った。
海外(日系スーパーの無い田舎)へ行く日本人の皆さま、梅干しと昆布茶の持参をオススメします!!
ちなみに「悪阻の間はご飯が炊ける臭いが無理になる」という話はよく聞くが、私の場合は平気だった。
レモンソーダ
悪阻が酷い日は、水すら吐き気を誘発することがあった。
脱水症状を防ぐため、こういう時はレモンソーダを飲んでいた。
みかんは全く受け付けなかったがレモンは美味しいから不思議だ。
糖分の摂り過ぎが心配だったので水で3倍に薄めて飲んだ。
今思えば、悪阻が酷くなる前にレモンを沢山買って来てすり下ろして冷凍しておけば良かった。
それを水に溶かせば爽やかなレモン水が作れたと思う。
カレーライス
悪阻が酷くて梅粥以外食べる気にならないと母に嘆いたところ、カレーライスを勧められた。
いやいや脂っこいもの全般に受け付けないのにカレーなんか…と思いつつも、体調が良い時に試しにカレーを作ってみると…
これが結構いけたのだ!(それでも肉は食べられないのでベジタブルカレーになってしまったが…)
カレーは野菜を切って適当に鍋に放り込むだけで済むので、悪阻の間は2、3回は作ったと思う。
寿司・刺身
肉を全く受け付けなかった私が無性に恋しくて仕方がなかったのが生魚だった。
多くの産婦人科医は禁止し、私の主治医も「オススメはできない」と言っていた刺身…。
しかし悪阻の間、ほとんどマトモな食事を口にできずゲッソリしていた私を心配し、夫が一度だけSushi & Chineseのレストランに連れて行ってくれたのだ。
リスクは承知だったがどうしても我慢できず、4、5切れのサーモンとブランジーノ(スズキ)の刺身を摘んだ。
生き返るようだった。
イカ
肉はダメ、チーズもダメ、魚も刺身以外はあまり食べる気にならない…
タンパク質がほぼ摂れない私が唯一火を通しても食べられたもの、それがイカだ。
残念なことに夫が甲殻類アレルギーのため我が家ではタコやイカの調理も控えていたが、夫が出張の際にイカを買って来て醤油でイカ焼きにして食べたところ…これがもうめちゃくちゃ美味しかったのだ!
ラーメン(特に辛ラーメン)
そんな中で無性に食べたくなったのがラーメンだ。
特に辛いラーメン…辛ラーメンとかカレー麺といったものを欲した。
しかし食べたその時は良いのだが、弱っている胃には全く優しくなく、昼に辛ラーメンをかき込んだ日は必ずといっていいほど夜にリバースした。
なので、悪阻中の辛ラーメンはあまりオススメできないw
フライドポテト
ラーメンと共に無性に食べたくなったのがフライドポテト。
油っこいものは受け付けないはずだったのに何故がフライドポテトだけはパクパクいけてしまうから不思議である。
イタリアでの悪阻で苦労したこと
イタリアの田舎での悪阻は、食べ物以外にも苦労することがあった。
イタリア料理は全般にNG
肉はダメ、チーズもダメ、オリーブオイルもダメ、パンもダメ…となるとお察しの通り、イタリア料理はほとんど食べられなくなった。
唯一食べられたのは汁気たっぷりのトマトソーススパゲティのみだった。
大好きな生ハムやサラミも妊娠中の身で食べられなかったので、イタリアで暮らす楽しみがほぼ奪われてしまったようなものだった。
気分が悪くても自分で作るしかない環境
お粥とかおにぎりとかサッパリした物が食べたいけど自分で作る気力が無い…
という時。
日本だったらコンビニにおにぎりやパック売りのお粥を買えるし、スマホアプリ一つでうどんやお弁当を家まで配達してくれる。
しかしこのイタリアの田舎町にはもちろんコンビニなどというものは存在しないし、デリバリーもせいぜいピザくらいしか無い。
よくパスタを作ってくれる夫も和食は作れない。
和食が食べたいなら自分で作るしか無い…というわけで何も作る気力が無い時はリンゴを齧るしかなかった。
ポカリスエットやアクエリアスが恋しい…
胃の中が空っぽになるまで吐いた後、水分補給の際にひたすら恋しかったのはポカリスエットないしはアクエリアスだった。
しかし、イタリアにあるスポーツドリンクはゲータレードのような味のものばかりで、味はポカリやアクエリアスに遠く及ばない。
コンビニや自販機で好きな時にいくらでもポカリやアクエリアスが買える環境が恋しくてならなかった。
おまけ:大学構内に(物理的な)居場所が無い
これはおまけの話だが、私が通い始めた美大には学食が無かった。(後にあることが判明したが本校舎から徒歩10分も離れた別校舎だった)
そして昼休みになると教室から追い出され、教室は施錠された。(セキュリティ対策のためらしい)
構内には他に座る場所も無く、生徒達は授業が終わるとどこへともなく消えていき、また授業の前に戻って来て教室が開くまで廊下で立って待っていた。
生徒の大半は留学生だったので大学の近くにシェアハウスをしている学生が多く、昼休みは自宅に帰って行くのだ。
遠方から通う生徒は近くのピッツェリアでパニーノを買ったりしていた。
なので、初日はおにぎりを持って行った私も、仕方なくピッツェリアに入り、ひたすら毎日トマトソースパスタを食べるしかなかった。
さらに18時に授業が終わった後も速攻で校舎の外に追い出されてしまうので、バスの時間まで寒空の中1時間近くも震えながら待つしかなかった。(夫が不憫に思って仕事を切り上げて帰りに迎えに来てくれるようになったが…)
とまあ、こんな感じで苦労しつつも何とかイタリアで悪阻の時期を生き延びた私であった。
そしてこの悪阻の期間に大きな試練…夫の3週間に及ぶ長期出張の日がやって来るのであった。
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