新型コロナウィルスによるロックダウンが続く中、私がイタリアへ移住して一年が経ってしまった。
今回は移住後1年を記念して、現在の感想をまとめてみたいと思う。
この一年の振り返り
久しぶりのブログ更新。
妊娠35週に入り、実は先々週あたりからベビー用品のリストアップや買い出しなどでバタバタしていた。
ようやく落ち着いて来たと思えば、昨日5月11日は私のイタリア渡航記念日だったりする。
あまりに慌ただしく過ぎてしまったので、一年もイタリアに住んだという実感があまり無い。
というのも、前半は夫の出張に付いて行ったりバケーションがあったりなどで、ほとんど落ち着いて家にいなかったからだw
この一年を振り返ると↓こんな感じになる。
【この一年間の振り返り】
- 19年5月:イタリア到着の翌日から、夫の出張に付いてモンテネグロへ
- 19年6月:夫の出張に付いてカターニャ(シチリア)へ
- 19年7月:日本一時帰国
- 19年8月:アブルッツォ州へドライブ旅行&夫実家(プーリア州レッチェ)でバケーション
- 19年9月:国立美術学院の受験準備
- 19年10月:国立美術学院大学院の入学試験→1週間ブダペスト&2週間アメリカ西海岸へ
- 19年11月:妊娠確定。国立美術学院大学院へ入学、美大生ライフ開始。
- 19年12月:つわりの悪化に伴い休学→夫実家(プーリア州レッチェ)でクリスマス
- 20年1月:日本一時帰国
- 20年2月〜4月:新型コロナウィルスの感染拡大に伴い自粛生活
という訳で、昨年9月まではほぼ家にいなかったのだ…。
まだまだ私の地元も開拓していく余地があるが、一応、春夏秋冬過ごした私の感想をまとめてみたい。
イタリア(トスカーナ州の海辺の田舎町)で一年生活してみた感想
治安
田舎町というのもあるかもしれないが、とても安全である。
「イタリアと言えばスリ」
「夜20時以降の外出は危険」
というイメージを持っていたが、この地域は財布を丸のまま手に持って歩いていても何も起きないくらい安全である。
心配していた空き巣被害や車上荒らしなどが起きたという話も全く聞かない。
小さな町だが、住民の生活レベルは全般的に高いように見える。(年齢層も高いが…)
また、移民もほぼ全くと言っていいほど見かけない。
中国人でさえ、中華レストランや中華系の美容室以外で街を歩いていてもほとんど見かけない。
全体的に静かでゆったりした町である。
試したことは無いが、夜中に女性が独り歩きをしていても恐らく何も起きないだろう。
また、6〜9月の夏の期間限定だが、海沿いは全く眠らない街と化す。海辺には賑やかな出店が並び、人々は夜中の3時頃まで、海沿いのバーやレストランでカクテルを飲み、楽しげな音楽に合わせて踊り狂うのである。
という訳で、私が一番不安に思っていた治安については、全く問題無く過ごすことができた。
交通
町にはバスもあれば、ピサやフィレンツェ、リグーリア州の方面へ出られる電車も通っている。
しかし、バスについてはアプリが全く役に立たず、時刻表や路線図といったものをネットで調べることができない。Googleマップ頼みとなるが、あまり正確ではなかったりするので、結局はバス停に貼ってある時刻表を写メで撮るしか正確な時刻表を手に入れる術が無い。
また、バスに乗る前に予めバールなどで乗車券を買っておかなければならないというのも難点である。多少高くはなるが、券無しで乗車することもできるが、大抵は運ちゃんに嫌な顔をされる。乗車券の有無はほとんど確認されることがないため無賃乗車している乗客も多いようだが、たまに抜き打ちで乗車券を確認する警備員が乗り込んでくるので、小心者はやはり予め乗車券を買って乗った方が良い。
という訳で、バスはイマイチ使い勝手が悪い。
また、電車について。
渡伊前は「フィレンツェまで2時間で行ける」と聞き、気軽にフィレンツェへ遊びに行くつもりでいたが、実際に行ってみたら乗り換えの連絡が悪い場合は3時間かかってしまうことが分かった。さらに終電も20時半と早いので、フィレンツェで一日楽しみ、ディナーをして帰って来ようと思うとかなり慌ただしいことになる。
そんなこんなで、この一年でまだ一度しかフィレンツェに行けていない。
「バスも電車もある」と言っても、東京の便利さとはやはり比べ物にならないので、フットワークはあまり軽くならない。
インフラ・公共機関
郵便局・宅配便
「イタリアは郵便物がちゃんと届く気がしない」
「イタリアの郵便局は、並びに並ばされて半日がかり」
渡伊前はそんな印象を持っていたし、現に夫の実家のある南伊プーリア州は郵便局は半日がかりのようだ。
ところが私の街に二箇所ある郵便局は、どちらも大変効率が良い。
日本のように機械で番号札を取り、システマチックに電光掲示板に自分の番号が表示されるまで順番待ちをするのだが、待っても15分程度である。公共料金の支払いも国際郵便も、日本と遜色なくスムーズに済む。
また、Amazonなどのネットショップで注文した宅配便も問題無く届く。
難点は、私のマンションが宅配業者の立ち入りを禁じているらしく、ネットで発注した物はエントランスまでしか届けてくれないので、重量級の物を頼んだ場合も運んでくれるのはエントランスまでという点である。なので、重量級の物を頼んだ場合は夫が帰宅するまでエントランスに放置せざるを得ない。
郵便物について。
郵便ポストは日本のマンションのように外から投函する口が無いので、郵便配達人は届け先のインターホンを鳴らして建物内に入り投函していく、という方式になっている。
郵便物が届く度にいちいち鳴らされるので、これが非常に面倒臭い。
たまに妙な宗教勧誘なども来たりするので、私は基本的にインターホンには応答しないため、郵便物についてはほぼご近所さん任せであるw
公共機関
唯一対応が最悪だったのは、移民局(クエストゥーラ)と市役所である。
特に移民局での滞在許可証の申請に対応していた中年女性は明らかに態度が悪く、差別意識を丸出しの、実に感じ悪い人間だった。
私は夫に付き添ってもらい、夫に手続きをしてもらったのでまだスムーズに申請が済んだが、一人で来ていた中国人やルーマニア人の女性などは酷くぞんざいに扱われた挙句に怒鳴りつけられ、門前払いにされている人もいて気の毒だった。
住民票の登録のために訪れた市役所で対応した初老の女性職員も、業務を理解していないのか、適当な理由を付けて処理を拒否しようとしてきたので、夫がブチ切れていた。
イタリア在住邦人の先輩方に話を聞いてもこの2施設は評判が悪いようなので、どこも似たような物なのかもしれない。
住まい(マンション)
イタリアの集合住宅…マンションの住み心地については以前の記事に書いた通りである↓

そこまで大きなご近所トラブルは無いにしても、有り得ない音量で音楽やテレビを付けるご近所がいると、それなりのストレスである。
(あまりに音楽の騒音が酷かったので一度夫が文句を言いに行った所、なんと上の階ではなく、下の階だったことが判明した)
他にも、斜め向かいの家がベランダで吸う煙草の臭いがこちらまで漂ってくるなど、諸々小さなストレスもある。
こうして私達夫婦の結論としては、「次に住むなら絶対に戸建てにしよう」となった。
食生活
スーパー・食料品店
私の街には大型スーパーが数件あり、さらに八百屋、フルーツ屋、肉屋、魚屋などの個人商店では高品質な食材が手に入る。
日本では見かけないようなイタリア野菜を見ることができるため、色々と試してみるのも楽しみの一つだったりする。
スーパーの中には大根やもやしなどの日本で馴染み深い野菜を置いている所も有り、私のオアシス的な存在になっていたりする。
菓子類・パン類にはショートニングやイーストフードなどが使われている物はなく、さらに包装に大きく「パームオイル不使用」と書かれている商品もある。
添加物の塊のような加工肉も見かけず、食材については日本よりも安心して購入できる。
ただ、やはり日本の野菜やキノコ類は手に入らない物が多く、日本食材が恋しくなることはしばしばだ。
調味料についても、この辺では醤油程度しか手に入らないので、特に日本食に必須な出汁や味噌のような物は一時帰国の際に大量に持ってくる必要がある。
外食事情
イタリアの飲食店と言えば、カジュアルな順に
- バール
- ピッツェリア
- トラットリア
- オステリア
- リストランテ
くらいだろうか。
この内、バールやピッツェリアは比較的気軽に通える値段だが、トラットリア以上の飲食店になると、とてもでないが週に何度も足を運べる値段ではない。
日本のように会社帰りにふらりと寄れるような定食屋のような店は無いし、デリなども見かけない。(ミラノやローマのような大都市ならあるかもしれないが…)
なので、私の街での人々の朝はバールでコルネット(クロワッサン)とエスプレッソを摘まんだり、アペリティーボ(夕食前の軽食)に繰り出す人々は多いものの、夕食については家で食べるのが基本だ。(金曜日はピッツェリアが賑わうが…)
こんな環境のため、日本で暮らしていた時は外食率80%だった我が家も、基本は家で3食用意するようになった。(夫は職場に弁当を持っていく)
イタリアへ来て専業主婦化した私にとって、3食準備する生活はまあ苦痛で仕方が無く、夫が気遣って週に2回は外食に連れて行ってくれるのだが、基本的にはイタリアン。
たまに中華和食の店にも行ってみるが、味は日本で食べられるレベルには到底及ばない。
美味しい和食や中華、韓国料理、タイ料理やベトナム料理…少し出かければ、食べたい時に食べたい物を食べに行くことができた、バリエーション豊かだった東京の食生活を懐かしく思わずにはいられない。
総括
以上、色々書いたが、
「イタリアでの暮らしも悪くない」
それが私の現時点の感想だ。
東京で仕事に励んでいた日々を恋しく思う時もあるが、仕事から離れ、海と山に囲まれた静かな田舎町で、新鮮な海の幸・山の幸を堪能しながら過ごしたこの一年は、もしかしたらこれまでの私の人生の中で一番、心穏やかで幸せに過ごせた一年だったのかもしれない。
だから子供を授かることが出来たのかもしれない。
それもこれも、夫が全面的にサポートしてくれ、面倒な手続きも全て夫がこなしてくれたからというのもある。
まだイタリア語は全く上達していないし、いつまでも専業主婦のままフラフラしているわけにもいかないので、自分の身の振り方についてもそろそろ真剣に考えていかなければならない。
また、今後は出産・子育ても待ち受けていて、乗り越えなければならない壁がいくつもあるのだろう。
それでも、「もう限界!日本に帰りたい!」という気持ちにはなっていないので、また次の一年もイタリアで何とかやっていけそうな、今はそんな気持ちである。
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