約2ヶ月ほどブログが放置状態になってしまいましたが、無事、6月にイタリアで元気な男の子を出産しました。
初めての育児と格闘している間にあっという間に1ヶ月半が過ぎてしまいましたが、出産時や産後の入院生活は、今となってはもやに包まれたようなぼんやりとした記憶になり、どこか夢の中の出来事のような気がしています。
当時の日記を読み返しながら、また、記憶を掘り返しながら、イタリアでの出産体験を残しておきたいと思います。
少し長くなりますがお付き合い下さいm(__)m
前回の記事はこちら↓

妊娠40週5日 – おしるし
近所のトラットリアへ散歩がてら夕食
予定日を4日過ぎても一向に出てくる気配の無いまま、40週5日を迎えた。
早朝に生理痛のようなシクシクした痛みを感じ、目を覚ましたものの、すぐに収まり、この日も何事も無く一日を終えようとしていた。
私のお腹はもうはち切れんばかりにパンパン。
お腹の中の息子は夜行性のようで、昼間はほぼシーン…としているのに、夜になると元気一杯にお腹を蹴っぽりまくっていたw
イタリアでは6月は既に真夏の気候。
陣痛を促すため、気温が下がって涼しくなってきた夕暮れ時に夫と街の旧市街へ散歩に出かけた。
夕暮れ時といっても夏の日が長いイタリア。既に20時を回っていたので、旧市街をぐるっと散歩した後はお気に入りのトラットリアへ寄った。
メニューに無い物でも柔軟に対応してくれるこのトラットリア。私達夫婦にとっては大戸屋のような感覚で気軽に立ち寄っている。そして何を頼んでも美味しいのだ。
特にパニーノが格別に美味しいのだが、糖質を控えなければならなかった私は、タコのガーリック炒めに野菜のグリルを添えてもらった。
涼しい風が吹く気持ちの良い夜に外のテラス席で食べる夜ご飯は格別だった。
夫とは、息子が生まれたらしばらくこうした店にも来られないね、などと談笑しながら二人の時間を楽しんだ。
ごく庶民的なトラットリアでの夜風に吹かれながらの夕食。
素敵な夜だった。
深夜のおしるし。病院へ。
その夜、寝る前にシャワーを浴びようとした際についにおしるしが。生理の終わり頃と同じで、ごく少量の出血だった。
日本の育児本にはおしるしが出てから二日〜一週間程度で陣痛が来ると書いてあったので、この時は慌てずにシャワーを浴び、寝支度をした。
そして0時過ぎに床に着く際に夫におしるしがあったことを告げたのだが…
ここで完全に就寝モードだった夫の様子が一変。
夫「血が出たらすぐに病院に来いって言われただろ!」
と血相を変えて出かける準備をし始めた。
私「出血といっても心配するものではなくて、ほんの少しだよ。出産が近づいている前兆っていうだけで病院に行くほどのものじゃないよ。」
日本ではおしるしが来ても直ちに病院に行けという指示は無い。出血量も少なく、陣痛も破水も無ければ様子見する、というのが日本の対応。
しかし夫は
夫「どんな量でも出血があったら来院するようにって言われただろ!」
と声を荒げて言った。
確かにこちらのUSL(保健所)でもらった出産のしおりには破水や出血をしたら来院するようにと書いてあった。しかし私としては、この「出血」は異常出血の場合だと思っていたのだが…
どうせまた帰されるだけだろうと思いながらも自己判断で万が一のことがあっても怖いので、私も就寝モードから切り替えて外出の準備をした。
家から車で10分の病院。病院が近いことをこれだけ感謝した日はないだろう。
深夜の病院は静まり返っていた。
入り口には貫禄の良い警備員さんが立っていて、私達の熱を計測したが、私のお腹を見るなり特に事情を説明しなくてもすんなり通してくれた。
相変わらず総合受付というものが無いこの病院。2階のFAST TRACK OSTETRICO(産科救急)へ直行する。夜間はエスカレーターは動いていないので、エレベーターで2階へ。
私のお気に入りのバールも薬局も閉まり、人気が無く薄暗い院内。
警備員さんが伝えてくれていたのか、FAST TRACK OSTETRICOの前では、助産師さんが既にスタンバイしてくれていた。
すぐに診察室に通され、いつも通りまずはNST(ノンストレステスト)。
二つの吸盤にジェルをたっぷり塗り、お腹にぶちょっとつけられ、ゴムのように伸縮するテープをお腹に巻きつけて固定する。この冷んやりしたジェルとテープによる圧迫で、少しお腹が痛くなる。
30分の計測タイム。お腹の中の息子くんの心音がトックトックと部屋に響き渡り、夫も私もそれに耳をすませていた。(思えばこの音も録音しておけば良かった…)
結果、助産師さんからは「良い張りが来てるわね」と言われたものの、その後の産婦人科医による内診の結果、「まだ陣痛も来ていないし、子宮口は開いていないし、子宮頸管もまだ硬くて4cm。恐らくあと2、3日ね」とのことだった。
この時、夫が子宮頸管を”neck”と訳して伝えてくれたのだが、この時は何のことだか理解ができなかった。ただ、子宮口が開いてないことだけは理解した。
私は(やっぱり…)という顔をしたが、「でもどんな症状だったとしても、些細な変化を感じたらとにかく病院に来て下さい。今回も来てくれて正解よ。」と言われた。日本と違って手厚い。
そして帰宅したのは午前3時。夫も私もくたびれてすぐに寝てしまった。
妊娠40週6日 – 前駆陣痛とPCR検査
陣痛アプリのダウンロード
生理痛のような痛みを定期的に感じるようになったので、陣痛アプリをダウンロードし、使い始めてみた。
特にこだわりはなかったが、一番最初に出てきた、カラダノートの「陣痛きたかも」というアプリがシンプルで使い易そうだったのでこれにしてみる。

お腹はややシクシクと痛んだものの、動けないほどではなかったので、朝食を作ったり洗濯したりする余裕はあった。
これがどれほどの痛みに発展していくのか恐ろしくはあったが、もうこの際だから早く生まれて来ておくれ、という気持ちの方が大きかったので覚悟はできていた。
しかし、規則的になるでもなく痛みが増すでもなく、午後になってもあまり進展はみられなかった。感覚は20分〜1時間程度。痛みも生理痛程度。
陣痛を促すために家の中をウェットシートで掃除した。
最後の晩餐
夜になると少し痛みが強くなり、台所に立つほどの気力はなかった。
とはいえイタリア料理を食べる気にもなれず…
産後しばらくは料理をする余裕も無いだろうから日本食もしばらく食べられないだろうということで、夫の提案で近所の中華&和食のレストランへ。
久しぶりに自分ではない誰かが握ってくれたおにぎり。沁みた…(照り焼きソースがかかっていなければもっと良かったw)
夫もしばらくレストランに来られないため、寿司をたらふく食べていたw
その夜。
22時半を過ぎた頃には、街は夜な夜なおめかしして出歩く若者達で溢れかえっていた。普段はシニア層しか見かけないこの街のどこにこんなに沢山の若尾のが潜んでいたのか不思議なくらい、とにかく夜は道も広場も夏の夜に騒ぐ若者だらけ。
↑広場に面したバーは大音量でサマーミュージックを流し、広場は若者で溢れかえる。警察まで出動していた。
少し寄り道して海沿いの通りを少しドライブしてみると、23時過ぎにも関わらず渋滞していた。数週間前は閑散としていた海沿いのレストランは一斉に開店し、バカンス客で賑わっていた。まるで別の場所のようだ。
遠くの方には夜空に鮮やかな光を放つ観覧車が。いつの間にか移動遊園地も開設されていたらしい。
今年もまた、このトスカーナの海沿いのエリアに夏がやって来た。
きっと私達は育児に奔走していて海どころではないだろうね、などと夫と笑いながら帰路に着いた。
前駆陣痛の開始。子宮頸管4cm→1cmへ
何事も無かった一日を終え、ややシクシクと痛むお腹を気にしながらも眠りについた。
が、その夜中。
突然生理痛のかなり酷い時と同じような強い痛みに襲われ、たまらず跳ね起きて四つん這いになった。あまりの痛みに脂汗が額に滲んだ。
時計を見ると午前3時過ぎ。
これは陣痛?しかし、まだ定期的かどうか分からない。
病院に行くべきか否か、痛みに耐えつつ考えていると、ただならぬ空気に飛び起きた夫はすぐさま「病院へ行くぞ!」と身支度を整え始めた。
昨晩に続き、この日も深夜の病院訪問になった。
病院に着くと、だだっ広い病院内を痛みに堪えながら産科へ向かう。
今回は産科の前には誰もいなかった。
入り口から入り、呼び鈴を鳴らす。
しばらくすると、仮眠していたのか、眠そうな目で助産師さんが出て来た。起こしてしまったようで申し訳ない。
夫が私の様子を伝えると、すぐさまNSTの部屋へ通された。
再びNST。お腹を捲り、ジェルを付けた二つの吸盤をお腹にくっつけられる。冷たいジェルと露出したお腹で、腹痛がより増幅される。
NSTの間も、先ほど飛び起きたものほどでは無いが、何度か生理痛のような強い痛みがやって来た。
お腹の中の息子は活発にモゾモゾと動いている。
NSTの後は産婦人科医による内診。この日は年配の女性の医師だった。
ただでさえ痛むのに、手を突っ込まれてグリグリされる苦しみ…
診察の結果、子宮頸管は大分柔らかくなっており、先日は4cmだったのが今は1cmと大分短くなって来ていると。
でも子宮口はまだ開いておらず、まだ前駆陣痛の段階と思われる、とのこと。
昨日も言われた”neck”。これが子宮頸管のことだと結びついたのはこの時だった。
事前に予習した限りでは子宮口の大きさのことしか書いていなかったので、子宮頸管○センチと言われてもあまりピンとこなかった。
後の調べで出産間近になると子宮頸管が柔らかく短くなってくることを知った。
とにかく、未だ本陣痛ではないのでこの日に生まれるかあと2、3日かかるかは分からないと言われた。
人生初のPCR検査
とはいえ、この日の夜の出産となる可能性もあったため、入院に備えてPCR検査を受けるように言われ、産科受付となっているらしい部屋に通された。
午前4時半過ぎ。電気も点けられていない暗い受付。
検査に対応してくれた寄り目の助産師さんがそのまま対応してくれるらしく、棚から新品の防護服キットのような物を取り出し、ビニールを開封した。中に入っていた真新しい防護服を被り、ゴーグルを付け、マスクを付ける。それから検査キットのような物を取り出す。
私は受付のテーブルに寄りかかりながら、定期的に来る子宮収縮の痛みに耐えながら、助産師さんが用意している光景をぼんやりと見守った。
そして準備が整った助産師さんは長い綿棒を持って私の前へ来る。
まずは喉。綿棒を喉の奥深くに突っ込まれ、私はたまらずオエっとなり咳き込んだ。助産師さんは私の真正面に立っていたから、この時点で私の飛沫を相当に浴びたことになる。なるほど、だから検査毎に防護服を替える必要があるのか。納得。
次に右鼻、そして左鼻。非常に痛かったものの、予想に反してくしゃみは出なかった。喉の方が辛い。
サンプルを撮り終え、厳重に容器に入れると、助産師さんは防護服を脱ぎながら
「OK、終わりよ!」
と陽気に言った。
こんな夜中に明るく対応してくれた助産師さんには感謝だ。
「シャワーを浴びて、リラックスしてね。」
と言われた。
外へ出ると、空は白んで明るくなり始めていた。家に着くと朝の5時。夫も私もベッドに倒れ込んだ。
この日の17時にはまた産婦人科医の検診の予約が入っていたので、12時間後にはまた戻って来なくてはならない…
つづく。
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