一年かけてようやくイタリアへの移住を決意できた私。
私達は本腰を入れてイタリアでの家探しを開始した。
まずは夫の通勤圏内のエリアから候補の街を絞った。
LAのよう?リグーリア州の海辺の街へ抱いた幻想
夫がまず候補に挙げて来たのがリグーリア州の海辺の町だった。
LA(ロサンゼルス)が大好きな私
というのも、私はアメリカカリフォルニア州のLA(ロサンゼルス)が大好きだったからだ。
私は昔LA(ロサンゼルス)に少しだけ住んでいたことがある。
青く広い空とどこまでも続く広いビーチにのんびり歩ける遊歩道。
狭くてごちゃごちゃした場所が大嫌いな私にとって、開放的なLAの街は理想郷だった。
そして流行最先端のスイーツやファッションに刺激的な日々を過ごし、LAにすっかり魅せられてしまったのだ。
日本へ帰国した後もほぼ毎年のように遊びに行っていた。
LAのような環境に住めるなら、東京での生活も仕事も捨ててイタリアに移住してもいい!
夫と出会った時から私は口癖のように言っていた。
リグーリア州の海辺の町はLAと似ているのか?
夫はそんなLA好きの私のために、イタリア中部のリグーリア州の海辺の街をいくつかチョイスした。
「イタリアだって、海沿いの街はLAと同じようなものだよ!」
夫はそう私に言い、椰子の気が生えたビーチ沿いの遊歩道の写真などを魅せてくれた。
写真を見る限りでは素敵な場所に思えた。
そして夫は賃貸サイトでいくつか候補の家を探し出して見せてくれた。
夫が見せてくれた家の写真は、どれもモダンでオシャレで素敵に見えた。家の窓から海が見えるものもある!
なので、初めは私もリグーリア州の海沿いの街、というものに過大な幻想を抱いていた。
そして2017年の12月。
年末年始の休暇で私達は毎年夫の実家がある南伊レッチェへの里帰りのためにイタリアへ来る。
この年はそのついでにリグーリア州に寄り、居住候補の街を見に行くことにした。
リグーリア州「イタリアの真珠」と呼ばれる漁師町
ここでは敢えて町の名前は伏せるが、夫が選んでくれたのは美しい観光スポットとして有名な町だった。
そこは「イタリアの真珠」とも言われている小さな漁師町。
夏のバケーションにはバカンスを楽しむために多くの観光客が訪れるイタリア有数のリゾート地でもある。
「海辺のリゾート」などと聞くと、私の中では勝手にハワイやサンディエゴ、カンクンみたいな場所を想像してしまう。
広いビーチ、ビーチ沿いに並ぶパラソルと、ビーチカクテル。
ビーチに沿って椰子の木が並ぶ広い遊歩道があり、人々は海を眺めながらジョギングをしたり散歩をしたり、のんびり楽しむことができる…
ハワイのような場所での暮らしを勝手に妄想していた私。
が、イタリアで海辺のリゾート地の様子はどうも違うらしい。
こじんまりした入江の漁師町を見た時、私は想像とあまりにも異なる光景に絶句した。
小さな入江には沢山の漁船が停泊し、ビーチは見当たらない。
その入江を見下ろすように、急勾配に沿って建物がビッシリ立ち並んでいた。
ギュッと詰まって密集する家々は、よく見ると色褪せ、外壁も剥がれ落ちていた。
そしてその家々の間には車など到底通れないような狭い坂道が迷路のように入り組んでいる。
広い空、広い空間が好きな私には、その場所に立っているだけで息がつまりそうだった。
何もかも、詰まっている。狭い。小さい…そして古い。
真冬真っ只中のオフシーズンだったこともあり、町はリゾート地とは思えないほど静まり返っていて人気は無く、寂れた感じさえした。
自分の想像とのあまりのギャップに、私は言葉を失って立ち尽くしてしまった。
そんな困惑していた私に、夫は自慢気に言う。
「美しいだろ!?イタリアの真珠だよ!」
観光として来ていたら素直に感動していたかもしれない。
しかし住むとなると全く話は別なのだ。
東京と別世界過ぎる。
エレベーターなど全く無さそうなボロボロの家々。
(実は高いらしいが、私にはその価値が全く理解できなかった)
窓もあまりにも小さい。
洗濯物を干せそうなベランダも無い。
水回り、耐震基準、セキュリティ、機能性、利便性…私の求めるものが全て欠落していた。
買い物はどうするのか?
一人で気軽に行けそうなカフェは?
まるで昭和初期の時代にタイムスリップしてきてしまったような感覚に襲われ、卒倒しそうだった。
私はこう答えた。
「ごめん、無理。」
一刻も早くここから逃げ出して東京(現代)へ戻りたかった。
自信があったらしい夫は、私のあまりの拒絶の強さに少しショックを受けたようだったが、気を取り直し、
夫「そうだよね。東京都はギャップがあり過ぎるよな。次の街はもっと都会だよ!海ももっと広いし。」
とフォローしてくれた。
というわけで、泣き出しそうな私を連れて、夫は次の街へ車を走らせた。
リグーリア州で産業の中心として栄える港町
次の街は、先ほどの漁師町とは比べ物にならないほど大きかった。
海沿いには工場や船舶が停泊する巨大なドックがあり、貨物船からはコンテナが積み下ろしされていた。
そして、やはりここにもビーチは無い。
海の周りはコンクリートで固められている。港町だ。
LAというより…ここは香港?
入江を囲む丘の上まで背の高い建物がビッシリと立ち並んでいた。
リグーリア州の海辺の町はどこも同じような構造だ。
大量の車が往き交い、海沿いの道路は渋滞していた。
どこもかしこも道路の両端は路上駐車で埋め尽くされ、どこかに停めようにも、全く駐車スペースが見つからない。
この光景を見て私は思う。
(…香港みたい。)
渋滞する車窓から閑散とした海沿いの歩道を眺めていると、夫は言った。
夫「どう?ここならLAみたいでしょ?」
夫はLAに行った事がないから分からないのだ。
LAというより、ここは香港。
不機嫌さを隠せない私に、夫は
「とりあえず渋滞が酷くてしばらく動きそうもないから、君はここで降りて散歩して来たらいいよ。」
と言い、私を降ろした。
1人で寛げるカフェすら無い
寒空の中、人気の無い殺風景な海沿いの通りをトボトボと歩いていると、余計に気分が沈んでいった。
せめてカフェがあれば!
スタバみたいにモダンでオシャレで、一人でゆっくりできそうなカフェさえあれば!
と思い、私は街中へ入って行った。
しばらく通りを歩いてみるも、あるのは昔ながらのバール、バール、バールばかり。。
冷えてきたので、仕方なく一件の小さなバールに入ってみることに。
店員のお姉さんは温かく迎えてくれた。
カプチーノで体を温めながら、外の往来を眺める。
イタリア人ばかりで、アジア人どころか外国人は見当たらない。
バーに3人娘がやってきて、店員と楽しそうに話し始める。
さらにシニアな男性客も入ってきて、店のマスターのような人達と話し始める。
名前で呼び合っていたから、恐らく皆顔見知りなのだろう。
映画のワンシーンを観てるみたい。。
と思うと共に、果てしなく自分が場違いなような気がしてきた。
まるで町の様子をスクリーン越しに眺めているような気がしてきた。
現実味が無い。
スタバやタリーズが恋しい…
ギッシリ建ち並ぶ高い古い建物はまるで香港のモンスターマンション
そんなことを考えていると、ようやく夫が車を停めてバーへやって来た。
夫と共に引き続きこの街を探索してみたが…
ギッシリと立ち並ぶ建物のおかげで、空が狭くて息が詰まりそうだった。
しかもほとんどの建物は補修もされず、ベランダの柵が崩れ落ちたり壁が剥がれ落ちたりしていてみすぼらしく見えた。
ギッシリと聳え立つ窓の小さなボロい建物達は、香港のモンスターマンションのように見えた。
いくら内装は綺麗だよと言われても、毎日こんな廃墟のような建物を眺めていたら気が滅入ってしまう。
町中に充満する排気ガス
加えて、この車の量。
建物にはガレージも無いため、路上駐車するしかないが、どこもかしこも油虫のようにビッシリと車で埋め尽くされている。
出かける度に毎度毎度駐車スペースを探して徘徊しなければならないことは容易に想像がついた。
どの道も渋滞しているおかげで、街中に排気ガスが充満していて歩いていても息苦しい。
私は悲しくなってきた。
私「…ごめん、無理。住めないよ。」
夫は私の表情から大体察していたようだったが、
夫「海の近くはどこも混んでるんだよ、丘の上なら景色も良いし、もっと環境が良いはず。俺が見せた家も丘の上なんだよ。行ってみよう。」
丘の上に這いつくばるようにして建つ家々
というわけで車でどんどんとグネグネ道を上がり、丘の上の方へやって来た。
車同士がギリギリすれ違えるような細い道路を走りながら、急斜面に這いつくばるようにして建つ建物。
この狭い山道は運転する気にならないな…と思いつつ、歩道も無いから歩く気にもならない。
どんなに丘の上は景色が良いと言われても、私にとっては陸の孤島も同然だった。
さらに、豪雨が来たらどうなるのだろうか。
昨今の気候変動でいつ観測史上最悪のゲリラ豪雨に見舞われるとも限らない。
こんな崖の上の不安定な場所に建つ家など全く住む気になれなかった。
イタリアの移住は無理だと叫ぶ
東京とあまりにも異なるリグーリア州の海沿いの街々。
私は黙り込んでしまった。
東京で何不自由なく暮らしているのに、何故こんな場所に連れて来られなければならないのか。
イタリアなんか住みたくない!
私は泣きたくなってきた。
あまりのストレスに私はみるみる胃腸を壊し、翌日には熱も出て、完全に体調を崩してしまった。
もう無意識のレベルでも拒否反応である。
私の拒否反応っぷりに夫も困惑し、
夫「そんなにイタリアが嫌なのか…。じゃあ俺の内定は…断る?イタリアは諦めて、東京でこのまま暮らす…?」
夫も私も絶望感に打ちひしがれ、最悪の空気になった。